〔資産運用〕体感と言動の不一致 -金融リテラシー向上は世の中を俯瞰する第一歩-

こんにちは。びたみんしーただです。

今回は、タイトルに標記する通り、僕が地方の片田舎に住む同級生たちと話したときに感じた『政治×金融リテラシー』についての問題点などを洗ってリマインドしていきたいと思います。特に僕のように中央から遠いところから出てきた人は感じたことがあることだと思います。

ところで田舎ってどういうところなのかと言うことですが、どうやら田舎の定義は『コイン精米所』があるかどうからしいです。実家から半径300m以内に3件はありますよこれ。


悲しいかな・・・。小学校の時はこれが精米終わるまでおとなしく待ってたらおばあちゃんから50円もらえたもんです。

体感する世の中の『変化』

帰省した際に必ずと言っていいほど会う同級生たちがいます。みな当然プロフィールはそれぞれ違っており、シングルマザーや夫婦、独身など様々です。

しかし、共通している精神的構造があります。それは”現実を直視することを恐れている、諦めている“と言うことです。

僕らも20代とは言えだいぶいい大人ですので、結構世の中についてだったり、子供たちの話をする機会も増えました。

その中で気になった発言について列挙します。

国内政治に対する捉え方

  • 生活保護の不正受給者は許せない人権要らない
  • 〇〇って反日なんでしょ?
  • 〇〇って日本人じゃないんでしょ?
  • 今の日本の総理大臣などのTOPの人員は素晴らしい成果を挙げている

僕らは幼稚園から高校までほぼ同じ教育を受け、平準化された教養を受けてきました。ただ一点違うのは、都市部に出て色んな情報の中で暮らすということでした。僕は上記に列挙されるような感覚は全く持っておらず、むしろ日本人に比べて賢明且つ聡明である外国人労働者の方を目の当たりにして感心しているぐらいです。

体感する国家運営

また、同時にこんな発言もしています。

  • 給料上がらない
  • 消費税8%って痛すぎる
  • 更に増税されたらキツい
  • ミサイルなんて昔全然飛んでこなかったんだから、そこにお金を掛けずに社会保障しっかりして欲しい
  • 水道民営化したら費用負担増えてキツい
  • 年金もらえるか心配
  • 税金払うの馬鹿らしい

このように日常生活の不満を見るとかなり”リアルな体感“をしてることが伺えます。ですが、こういった自らの困窮を”何故か最初に列挙したような差別発言で一蹴してしまう“のです。”生活保護を打ち切ればいい”などという意味不明な論理が成り立つのです。そして更に何故かわかりませんが、今の国家運営を”素晴らしい“と褒めたたえます。完全に支離滅裂です。

体感と言動の不一致

正直なところ、支持政党がどこであろうが誰を支持しようが僕には関係ありませんしどうでもいいことなのです。

実際に、主要企業の内部留保は株価の上昇と共に増え続けており、景気の好感があることから、経営者層は現政権を支持しているところが多いですよね。これは体感と言動が一致しているので当然です

しかしながら、自らの体験や感覚として明らかに損を被っているにも関わらず言動と体験が一致しないと言うのは間違っています。最後の1ピースが嵌らない。もうあとはシュートするだけなのに自らクリアーしてしまってるんですね。

これを僕は『体感する事象の原因を考えることを辞めた人』と言うように位置付けています。また『情報の無意識的フィルタリングによる傾向的人格を持つ人』でもあります。

自らの体感している体験の原因を無意識的に模索することをせず、弱者や他者を差別や区別することで自らの優位性を言い聞かせるような構図になっています。これははっきり言って間違っていますが、本人たちに悪気は全くありません。これは”思想”と言うよりは”現実直視に対する恐れ“です。

では、なぜこのように考え方に差異が生まれているのでしょうか?ヒントは僕自身の経験にあると思います。

僕の場合、東京に進出してきて戸惑ったことがあります。それは、例えばニュースを見ていて、”東京にある日本銀行が〇〇を決定した”とか”東京の国会議事堂で〇〇法案が通った”とかそういう報道が自分の住むすぐ近所で行われていることもあり、とても身近なニュースに感じました

実際こういったものは国家施策として決められているものであり本来であれば、田舎であろうがなかろうが、情報を集めてそれぞれがそれぞれの考え方を持つことが肝要であり、それが最終的には選挙や政治に反映されるものです。

しかしながら、自分自身においても中央から離れれば離れるほどこのような話題はどうでもよくなり、無関心となり、最終的には聞きもしなくなるのです。

金融リテラシーは世の中を理解する第一歩

では、このような人たちはどうすることで、自分の体験と言動を一致させることができるのでしょうか?この矛盾を矛盾と感じられるようになることは非常に大切ですよね。

この時、僕は彼らの前で、彼らが不満に思っていることなどを紐解いていくこととしました。その時に主要に話したトピックスについてお話しします。

給料が上がらない理由

彼らの中で最もよくわからない現象として”株価が上がって景気がいいと言うのに自分の給料が上がらない“ことが挙げられます。しかも、これを落としどころとして”田舎だからしょうがない“というように理解しています。

これは完全に間違いです。

実際に田舎ではありますが、東証一部に上場しTOPIXにも選出されているような企業の半導体工場や製品工場に勤めていたりしますので、決して田舎云々の理屈ではないわけです。

実際のところは、企業の利益は内部留保への蓄積株主への還元でほとんど消えていきます。それに昨今の人手不足解消のために人員補填などに充てられることが優先されることで利益を給与に反映させるのという優先順位は必然的に下がる傾向にあるのです。

ハリボテの景気

また、これは常々僕もポストしてきましたが、日銀と金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による財政出動により株価の底上げを行っている件を伝えました。

年金積立金管理運用独立行政法人は、厚生労働省所管の独立行政法人である。日本の公的年金のうち、厚生年金と国民年金の積立金の管理・運用を行っている。運用は契約型の投資信託によっている。 従来、公的年金の積立金運用は、特殊法人である年金福祉事業団が財政投融資に預託して行っていた。

引用元:ウィキペディア

〔資産運用〕中長期投資スタイルを選択した理由とその運用方法について

2018年3月現在で日銀のETF買いは24.1兆円、GPIFによる国内株式の運用は40兆円となっています。これは、国内市場の時価総額に対して10%弱を示しています。また、日銀は年間6兆円の財政出動を行っているわけで、現在もこれは続いています。

国内株式を運用している人はわかると思いますが、株式関係のTwitterや掲示板を見ると、前場で日経平均が下がっていたら『後場はどうせ日銀が資金投入するから買い』などというポストがあったりします(あくまで一部ですが)。

では、このような運用の仕方をして、出口はどこにあるのでしょうか?現在、年金の積み立て(厚生年金)は僕らの世代に増えて返ってくると言えるのでしょうか?答えは”このままではNO”です。

実際、現状で国産企業はこのグローバル経済の中では競争力を失っております。バブル崩壊直前までは、世界の企業の時価総額ランキングで上位20位以内に国産企業がたくさんランクインしていました。しかしながら、現在は1社すら入りません。つまり、国内企業が成長し、株主に高リターンを還元する可能性はかなり低くなってきていると安易に想像できます。

これは、世の技術発展に対しての国内産業の遅れ(例えば人件費と業務効率化、研究開発等)などが起因すると思われますが、なんにせよ競争力が失われているのは自明の理なのです。

このため、今後も変わらず公的資金を投入し続けてもいずれは外資などの機関投資ファンド等に敬遠されていきます。結果として、資金導入はカンフル剤としての効力を失い、最終的にはさらに資金を導入するしか”活性化しているように見せかける方法“はありません。

そして、この資金流用を辞めて運用を清算するときにも市場の時価総額に対しての保有割合が大きければ大きい程、精算時の株価下落は大きくなり、完全に清算するころには経済の氷河期です。

また、経済悪化を恐れて資金導入を更にするにも、清算せずに社会保障を維持していくにも赤字国債を発行するという対策をとれば、その時はいいかもしれませんが、いずれ我々の子供世代に大きな負の遺産としてその責任を押し付けることとなります。

自分の現在地点を知る

上記までのような内容を質問や意見を交えながら議論しました。実際2つ目に話した株価操作に関する説明については若干のバイアスが掛かっていると思うので後々に自分たちで調べることをお勧めしました。

しかしながら、これらのことを知り、調べることでお金の流れ方や使い方がわかります。そして『お金とはなんなのか』と言うのを少しずつ考えるようになります。

その結果、将来設計をする上で”やりたいことだけを列挙するだけではなく、実現するための資金繰りを考える“ようになります。実際、その場で見た反応として目から鱗と言うような感じでした。そして、お金の流れについて興味を持ってくれました。

どうしても生活と切り離すことのできない『お金』の話は、自分が自国の中でどんな位置づけにいる層なのかを知ることができます。つまり”自分の現在地点”を知ることができ、これは世の中を俯瞰で見ることが可能になる第一歩です。

おわりに

いかがでしたでしょうか?かなり個人的出来事から派生してリテラシー向上の重要性を政治的な側面から解説してみました。僕もこのようにポストしていますが、地元から出ずに生活していたら間違いなく周囲と変わらない思想を持ち、言動と体感の不一致を気付かぬまま生活していたと思います。

情報を否が応でも受け取る世界に身を置き、それらの取捨選択を”要素的知識を学ぶ“ことで行い生活していくことは緊張感と刺激性を感じながら成長できるいい機会だと思っています。

同時に、僕は子供がいませんが、こうした仲の良い友達の子供を可愛がる中で、次の世代をなるべく豊かなものにしていきたいと思うようにもなりました。無邪気で無垢な子供たちが貧困や差別に苦しむことなく幸せな生活を送れるよう願っています。

ご覧いただきありがとうございました。

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